◆徹底解説自衛隊:中東・アフリカでの役割と成果  自衛隊の歴史を読み直す(5)〜ゴラン高原からスーダンまで

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◆ 徹底解説自衛隊:中東・アフリカでの役割と成果  自衛隊の歴史を読み直す(5)〜ゴラン高原からスーダンまで

JB press】 04/12

田中 伸昌

 毎週水曜日にお送りしている徹底解説自衛隊

これまで、自衛隊が誕生した背景、国内での災害派遣での活動、また海外PKO活動に参加するようになるまでを時系列に沿って詳しく見てきた。

 今回はメディアでほとんど報じられることがなかった海外PKOにおける自衛隊の役割と成果について解説する。

前回解説したカンボジアモザンビークルワンダに続き、今回はゴラン高原での業務からスーダンまでを振り返る。

★ 4.ゴラン高原国際平和協力業務(1996年2月〜2013年1月)

 歴史に根差したユダヤとアラブとの近年における対立は、第2次世界大戦後の1948年のイスラエルと周辺アラブ諸国との戦争、いわゆる第1次中東戦争として出現し、その後も第2次(1956.10.29〜1956.11.6)、第3次(1967.6.5〜1967.6.10)と戦争と停戦を繰り返した。

 エジプトおよびシリア軍の奇襲攻撃(1973年10月6日)により始まった第4次中東戦争は、緒戦におけるエジプト・シリア軍の勝利からイスラエルが次第に優位に立つ状況に至り、国連安保理が停戦工作を進めた結果、双方は国連の停戦決議(第338号1973.10.22)を受けて停戦が成立した。

 これに続いて国連安保理は、停戦監視軍の創設を決議(第340号1973.10.25)し、イスラエルとシリアの国境地帯に位置するゴラン高原に両国軍の停戦と兵力引き離し合意の履行状況の監視を任務とする「国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)」を展開させた。

 日本は長い間この国連PKO(平和維持活動)に参加してこなかったが、1996年(平成8年)2月に参加を決定し、司令部要員および輸送部隊としてゴラン高原国連兵力引き離し監視軍へ自衛隊を派遣した。

 この派遣は長期間続いた。

しかし、近年におけるシリア騒乱による周辺地域の情勢の悪化に伴い、派遣開始から17年目の2012年(平成24年)12月をもって活動を終了させた。

 司令部要員は広報並びに輸送の調整・企画を担当し、輸送部隊は後方支援大隊の中にあって兵力引き離し監視軍の活動に必要な物資などの輸送のほか、道路補修、除雪作業などを担当した。

 司令部要員は2人で1年ごとに交代し、輸送部隊は43人(最終部隊のみ44人)から成り、半年ごとに交代した。

実に、第1次隊から第34次隊まで続けられた。

 そのほか航空自衛隊は、司令部要員および輸送部隊並びに必要物資・資材や食料品などの日本から現地への航空輸送を定期的に実施した。

なお、派遣された自衛隊は、任務遂行の的確さ並びに規律や礼儀正しさなど、UNDOF司令官から高く評価された。

★ 5.東ティモール避難民救援国際平和協力業務(1999年11月〜同年12月)

 1999年(平成11年)8月、東ティモールインドネシア共和国との関係に関する民意確認のための直接投票の結果を受けて、インドネシア共和国との統合維持を求める武装組織が、独立を求める住民に対する殺害等の犯罪から始まった紛争により大量の避難民が生じ、大規模で深刻な人道問題となった。

 これに対して国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が国際社会に対して、難民救済のための資金援助および物資協力を要請した。

我が国は多額の資金援助とともに必要物資の提供を実施した。

 さらにUNHCRから、現地における救援物資の空輸要請があり、我が国はこれを受けて東ティモール避難民救援国際平和協力業務を実施することとし、東ティモール避難民国際平和協力隊を設置(平成11年11月22日)し、現地における救援物資輸送業務を実施した。

 航空自衛隊は「C-130H」輸送機と113人からなる東ティモール避難民救援空輸隊を編成し、ジャワ島のスラバヤから1300?離れたティモール島のクパン(西ティモール)までの間の航空輸送業務を実施した。

 空輸は11月29日から平成12年2月1日までの間、ほぼ毎週5便ずつ、合計47便のC-130H輸送機を運航し、合計約400トンの救援物資及び延べ約50人のUNHCR関係者の空輸を実施した。

 スラバヤからクパンまでの飛行は往復で約7時間かかるため、機体整備、気象確認、飛行航路の確認、貨物搭載、積み下ろし等を考えれば早朝から夜遅くまでの勤務となった。

 必ずしも十分でない空港設備、気候の急変のための対処等を含め、安全かつ定時運航を成し遂げるためには、並々ならぬ努力が必要であった。

この東ティモール避難民救援空輸隊の空輸により、約12万人の東ティモール避難民に対する援助物資の輸送が行われたと報告されている。

★ 6.アフガニスタン難民救援国際平和協力業務(2001年10月)

 旧ソ連の侵攻(1979年)により始まったアフガニスタンの内戦、タリバン派と反タリバン派の対立抗争、加えて2001年9月11日の米国同時多発テロに端を発する米英軍によるアフガニスタン空爆、これら長期にわたる内戦の結果、多数の難民が生まれ、また隣国パキスタンにも多数の避難民が押し寄せた。

 この悲惨な状況にある難民・避難民に対して、国連事務総長から加盟各国に対して支援の必要性を訴え、これを受けて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)をはじめとする人道救援機関などが活動を開始した。

 我が国は、金銭的な支援のほか、UNHCRの要請(2001.9.21)を受けてパキスタンにあるUNHCRに対して救援物資を提供することを決定(2001.10.5)し、アフガニスタン難民救援国際平和協力隊を設置して救援物資を提供することとした。

 この決定に基づき航空自衛隊は、指揮官以下130人、C-130H輸送機6機からなるアフガニスタン難民救援空輸隊を編成し、10月6日に小牧基地を出発し同9日パキスタンの首都イスラマバードに到着し、救援物資(テント、毛布、スリーピングマット、給水容器)をUNHCR現地事務所に引き渡した。

 難民救援空輸隊は救援物資引き渡し後イスラマバードを出発し、10月12日に本邦に帰国し任務を終了した。

★ 7.東ティモール国際平和協力業務(2002年2月〜2004年6月)

 インドネシア共和国からの独立を志向する東ティモールとこれに反対するインドネシア政府との対立に端を発する内戦に対して、国連安保理決議(第1272号1999.10.25)により設立された国連東ティモ−ル暫定行政機構(UNTAET)は、2002年5月20日の東ティモール民主共和国の独立により任務を終了した。

 引き続き同国の安全と自立支援を目的として国連東ティモール支援団(UNMISET)が安保理決議により設立され、我が国はUNTAETへの要員派遣要請(2002.2.4)を受けて、東ティモール国際平和協力業務の実施を決定(2002.2.15)した。

 これに基づき、陸自は司令部要員および施設部隊の派遣、海自は艦艇による輸送、空自は輸送機による空輸を実施し、2002年4月30日に現地における任務遂行態勢を完了した。

 陸自は2002年2月からUNTAETの軍事部門に、そして東ティモール独立後はUNMISETの軍事部門に、司令部要員および施設部隊を第1次から第4次まで延べ2300人を派遣した。

 司令部要員は後方支援分野業務の企画・調整に、施設部隊は道路・橋等の補修・維持、給水支援等を行うことによって、東ティモール民主共和国の独立とその後の国づくりに貢献し、2002年6月27日までに任務を終えて全員帰国した。

★ 8.イラク難民救援国際平和協力業務(2003年3月〜同年4月)

 湾岸戦争停戦(1991.4.11)後、国連イラク大量破壊兵器廃棄並びに査察を要求したが、イラクはこれを拒否しこの状況が継続した結果、米国が中心となってイラクへの空爆(1998年12月)を行うとともに国連安保理は新たな決議(1999年12月)によりイラクに査察受け入れを求めたが、イラクはこれも拒否した。

 その後も状況は進展せず、米国などは安保理決議に基づき、2003年3月20日イラクへの武力行使を開始した。

その後米国は、武力行使の成果があったとして2003年5月1日に主要な戦闘の終結を宣言した。

 こうした中で被災民が増え続けるイランの窮状を目の当たりにして、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から我が国に対し、ヨルダンおよびシリアにおける人道的な国際救援活動のための物資(テント)の提供および当該物資のヨルダンへの輸送について要請があった。

 我が国は検討の結果、所要の条件を満たしていることを確認し、イラク難民救援国際平和協力業務の実施を決定し、イラク難民救援国際平和協力隊を設置(2003.3.28)した。

 これに基づき航空自衛隊は、50人からなるイラク被災民救援空輸隊を編成して政府専用機2機による輸送業務を実施した。

2003年3月30日に成田空港で救援物資を積んで飛行し、同31日にヨルダンのアンマンに到着してUNHCR現地事務所に救援物資を引き渡し、無事任務を終えて帰国した。

★ 9.イラク被災民救援国際平和協力業務(2003年7月〜同年8月)

 うち続くイラクにおける戦闘の結果生じた被災民および戦闘により破壊された生活環境、水や食糧の不足、医療サービスの欠如等の状況を改善するため、国連安保理イラクにおける人道支援、復旧および復興支援を内容とする決議を採択した(第1483号、2003.5.22)。

 これに基づく活動の一環として国連の世界食糧計画(WFP)から我が国に対して、人道救援物資の輸送要請があり、我が国はこの要請に基づきイラク被災民救援国際平和協力業務の実施を決定し、イタリアとヨルダンとの間で救援物資の輸送協力を行うこととした。

 この決定に基づき、航空自衛隊は指揮官以下98人、C-130H×3機(1機は国内待機)、U-4型機×1機からなるイラク被災民救援空輸隊を編成し、8月5日から同12日までの間にイタリアのブリンディシ(国連の救援物資補給基地が所在)からヨルダンのアンマン間で、合計20便、140トンの人道救援物資の空輸を実施し、要請のあった任務を完遂した。

★ 10.ネパール国際平和協力業務(2007年3月〜2011年1月)

 北方を中国およびそれ以外をインドと接し、ヒマラヤ山脈の麓に位置するチベットは、古来より様々な形態の王制(国王親政、傀儡王制、立憲君主制など)を布いてきたが、1996年に共産党毛沢東主義派マオイスト)が王制打破を目指して内戦を始めた。

この内戦は2006年11月21日に政府とマオイストの間で「包括和平協定」が締結されるまで続いた。

 この協定締結の結果、ネパール政府およびマオイスト国連安保理に対し国内平定のための支援を要請し、安保理はこの要請を受けて安保理決議を採択(第1740号2007.1.23)し、ネパールにおける武器および兵士の管理と履行についての監視、制憲議会選挙を実施するための支援等を任務とする“国連ネパール政治ミッション”(UNMIN)を設立した。

国連は我が国に対して、このミッションの中の軍事監視分野における要員派遣について要請した。

 我が国政府はこの要請を受けて、ネパール国際平和協力業務の実施を閣議決定し、ネパール国際平和協力隊を設置した(2007.3.30)。

この決定に基づき自衛隊は、第1次の軍事監視要員6人をネパールに派遣した。

 現地ネパールにおいて各国から派遣されたUNMIN要員とともに、平成19年(2007年)3月31日から約1年間にわたり、国軍施設およびマオイスト施設において武器および兵士の管理の監視業務を行った。

 以降UNMINの任務が終了する2011年(平成23年)1月15日までの約3年10か月の間、各6人ずつ第1次から第4次まで延べ24人の軍事監視要員を派遣し、UNMINの任務遂行に貢献した。

UNMINによる現地における活動により、制憲議会選挙が行われ、新政権が誕生して王制を廃止して連邦民主共和制国家へと生まれ変わるとともに、マオイストの武器管理と国軍との統合協議が進展するなど、ネパールの和平プロセスが進展した。

★ 11.国際連合スーダン派遣団(2008年10月〜2011年9月)

 スーダンは、アフリカの北東部にあって、北はエジプト、東は紅海およびエチオピアに囲まれ、それ以外をリビア、チャドなどに囲まれた広大な面積を擁する国である。

紀元前2200年頃に王国として建国された古い歴史を有する国であるが、紀元後、近代に至るまでの間に王国の興亡を繰り返すとともに、エジプトあるいは英国による支配、さらには英国とエジプトによる共同統治とこれに反発する独立運動を経験した。

 宗教的にはキリスト教の拡大と衰退、そしてイスラムの拡大と土着の精霊信仰、民族的には北部のアラブ系と南部の非アラブ系黒人との間の対立、石油やレアメタルなどの有望な地下資源の存在、ナイル川流域の穀倉地帯を擁する農業など多様な抗争の要因を抱えている。

 このような状況から、1955年に北部のアラブ系イスラム教徒と南部の土着の精霊信仰の非アラブ系黒人との間における抗争が内戦(第1次)へと発展し、停戦合意ができる1972年まで内戦が続いた。

 しかしながらその後再び1983年に至り、北部を拠点にイスラム法に基づくアラブ民族主義国家建設を目指すスーダン政府に対し、南部の非アラブ系黒人主体の「南部の新しいスーダン国家」建設を目指すスーダン人民解放軍との間で抗争が拡大し、第2次内戦へと発展した。

 この内戦はおよそ20年間続き、2002年に至り米国などの仲介で、

(1) 6年間の暫定移行期間を経て住民投票スーダン南部地域の帰属を決定する

(2) 南部地域にはイスラム法を適用しない

という2項目を盛り込んだ議定書に両者が署名して停戦が実現した。

その後も細部の議定書が取り交わされて和平プロセスは進展し、これら議定書を取りまとめた「南北包括和平合意」が2005年1月、署名され内戦は終結した。

 この合意によりスーダン政府とスーダン人民解放軍国連による管理を要請した。

国連安保理はこの要請を受けて、安保理決議(第1590号2005.3.24)を採択し、和平合意の履行支援、難民および国内避難民の帰還促進・調整等を任務とする国際連合スーダン・ミッション(UNMIS)を設立した。

 我が国は、国連の要請を受けてUNMIS司令部に自衛官2人を派遣することを閣議決定(2008年10月3日)し、同月8日付で「スーダン国際平和協力隊」を設置した。

 期間は、当初2008年10月8日から2009年6月30日までだったが、国連決議に基づく期間延長が図られ、2011年7月9日の南スーダン共和国独立をもって国連がUNMISの活動終了を決議(2011年7月11日)するまでの約2年9か月となった。

 UNMISの軍事部門の司令部要員として派遣された自衛官は、第1次として2008年10月から約半年ごとの任期で第6次まで、合計12人がスーダンの首都ハルツームにあるUNMIS司令部へ派遣され、南北包括和平合意の履行支援および難民や避難民の帰還促進のための職務を遂行した。