「その時どう動く」

白隠禅師を尊敬しているある商人。その娘さんが身ごもった。

娘さんは白隠禅師の子供だと言えば父親に許してもらえると嘘をついた。

それを聴いた父親は激怒し赤ちゃんを抱いて禅師のところに行き

「これはあんたの子だろう」と詰め寄った。

どう対応するかと思ったら「ああ、そうか」と赤ちゃんを受け取った。

父親はますます「やっぱりそうか」と憤慨して家に帰った。

その後、禅師がお乳をもらいに歩き回る様子を見て、娘が白状する。

「実は別の人の子供なんです」と。

それで父親は平身低頭して禅師に謝罪した。

何か嫌味でも言われるかと思ったら禅師は「ああ、そうか」といって赤ちゃんを返した。

その時禅師は自分が父親であるとかそうじゃないとかいうことよりも、

生まれたばかりの乳飲み子の命を助けることが大事だと考えた。

その後母親が現れた時にはやはり子供は母親が育てるのがいいので返した。

まさにその時どう動くということについて、判断基準や優先順位がはっきりしている。

人間、どうしても自分の評判や、よく見られたいという気持ちが前面に出てしまう。

でも、今目の前にいる子供の命というところに焦点が定まっているとぶれることはない。

自分を尊敬してくれている人から濡れ衣を着せられるとひと言「違う」と言っても

おかしくはない。そこを「ああ、そうか」とだけ言うことに凄さがある。

実は、これを読んでいたのは電車待ちでちょうど、娘さんが嘘をついたというところで、

電車が来ました。続きが気になって仕方がなく、電車に乗ってすぐに続きを読んで、

すごいなあと感心しました。

自分に置き換えると全くそんな発想はできないなあ。人間としてまだまだだなあと

思いました。

その時どう動く。順調な時はよくても、苦境や困難にぶち当たった時、

どんな判断をすべきかの基準をしっかりと持っておくべき。

常日頃、感情が先走ってしまいがちですが、そうすべきではないということを、

このエピソードから学びました。