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ありがとう

 終電で地元の駅に着いた時、私は面倒で、階段を降りる事は少ない。

先日もそれを理由として、エレベーターのボタンを押したのであった。

 その際、白杖で、アスファルトを擦る男性を発見した。

私は、「下へいきますか?」といった。

 盲人の彼は、他人から声をかけられた事に驚きを示したのか、その言葉の意味をあまり理解していなかったようだった。

 考えてみれば、そうだ。

恐らく多くの私たちは、人の声を鼓膜に揺らすことはあっても、その声の主が自分と関係性がある人でなければ、聴くという事はしない。

 なるほど、誰かが声を出している。と、考えて、自分の世界に戻る事がほとんどだろう。

きっと、盲人の彼もそうである。

私はもう一度大きな声で言った。「下へいきますか?」

彼は認知した。

そして、彼は、「すみません、行きます」と言いながら、エレベーターの中へ入った。

エレベータの中でも、すみません。と言った。

私は、彼に被害など受けてはいない。

謝れる筋合いなどはない。

むしろ、彼は不運にもそのようなカタチになってしまったのであり、謝罪の必要性など何処にあろうものか。

私は無言だった。彼のすみませんという言葉に対して、疑問を感じていたからだ。

 しかし、この「すみません」という言葉、私たち日本人はやたら使う気がする。

謝罪の言葉だろう。

 謙虚な民族であるからして当然なのかもしれない。

彼は確かに社会的弱者であったのかもしれない。

だが、それは誰しもなり得る可能性がある。

彼が悪いことがどこにあろうか。

私が表面上の情報で判断するに、彼に責はなく、

私もまた、当然のことをしただけである。

何せ、エレベーターのボタンを押して、数秒間待ち、少し大きな声を出しただけだ。

軽い感謝の気持ちを表現されたとしても、謝罪などされるいわれもない。

またする必要性もないのだ。

とはいえ、私も、彼と同じ日本人である。

同じ立場であれば、謝罪を言ってしまうのではないのだろうか。

感謝の気持ちを示す、言葉を忘れているのかもしれない。

ありがとう、という言葉を使う時に、すみません。と言っているのかもしれない。

きちんと言葉を使い分けるべきだろう。

日本は、これから少子高齢化が加速する。

そして、恐らく外国人を入れていかないと経済が成り立たなくなるだろう。

恐らくそれは先進国の成れの果てと言える。

アメリカ合衆国がその代表格になる。

その際に、日本人があまりに謙虚であるがゆえに、すみませんという謝罪の表現をするのは、

良くないと感じられた。

何せ謝罪なのだ。

罪を謝るからこその、すみませんであるからして、責任追及の可能性を発生させることもある。

本当に何かしらの罪があり、謝る事が必要であればこれは、しなければならないが、

そうでない場合、疑問符を生じさせ、相手によっては、責任追及してくることもあり得る。

文化の違いというのは、どのような軋轢を生じさせるか分からない。

言葉というのは大切だ。

本当に大切なのだ。

当然、私は彼を責任追及するつもりなどはない。

色々述べてはみたが、正直悲しくなった。

この程度の声掛け当たり前なのだ。

まだ、当たり前ではないと社会的な威圧が彼にかかっているのではないのか。

親切はした、良い事はしたのかもしれないが、多少のいらだちを覚えてしまった。

ありがとう。と言ってほしかった。