「9条」を絶対化する“護憲左翼”の本性!

「我が国民に内戦,内乱を呼び掛けた日本共産党反戦平和の闘士として描き出すことほど事実に反することはない」(兵本達吉「日本共産党の戦後秘史」新潮社)

〔「スレッド」Vol.2(2007.10)〕

「中ソという“上部団体”から武装化命令を下されて慌てた共産党は,51年2月の第4回全国協議会」(「四全協」)で軍事基地の拠点の麻痺・粉砕」

「意識的な中核自衛隊の結集」「警察予備隊に対する工作」などの武力中心による闘争方針が決定された」

「8月には徳田球一ら党幹部がソ連へ呼び出され,ダメ押しにスターリンから直筆の草案を押し付けられる.

「暴力革命を率先して行え」というこの草案は,「五一年綱領」として党の正式方針となった.こうして「軍事闘争」という名のもとに武装蜂起が活発化.日本の治安は大混乱に陥っていく」

「まず,武力闘争の実行部隊として「中核自衛隊」が組織され,時限爆弾や火炎瓶,火炎手榴弾などの製造法が『球根栽培法』や『ビタミン療法』『栄養分析表』などの暗号化されたタイトルで配布された.資金調達は「敵から奪う」という戦略が,党発行の『中核自衛隊の組織と戦術』に正規の方針として記され,実際に軍資金を調達するための略奪事件が全国で頻発した」

「また,敵の武装力の基幹である警察力に対する闘争」を積極的に行うという方針に従い,警察官の殺害や警察署襲撃というテロ行為も行われた」

「最初の事件は51年12月27日,練馬警察署の伊藤巡査殺害事件である」

「翌月の52年1月22日,札幌中央警察署の白鳥警部が自転車で帰宅途中,後ろから自転車に乗って来た男にピストルで撃たれて死亡した」

伊藤巡査殺害事件は鉄パイプで撲殺されて実弾入り拳銃も奪われる事件.「同巡査は事件の1年程前に,小田原製紙工場の共産党労働組合員を逮捕したことで恨みを買っており,さらに日頃から共産党員により中傷ビラを貼られるなどの嫌がらせを受けていた.状況から共産党の犯行の可能性が高いとみて,警視庁警備課も協力するという異例の合同捜査を行った.この結果,共産党員14人を強盗致死罪で逮捕した」

白鳥警部も左翼,共産党の調査を担当した.

山梨県では52年7月31日,曙村の民家に6人組の強盗が乱入.家人に重傷を負わせ,米一俵を奪って山中に逃走した.曙村は共産勢力が強い「赤い村」として知られており,同月初旬には共産党山村工作隊員約10名が「日共の活動を妨害した」として吊るし上げを行っていた」

「この「武力闘争」は朝鮮戦争の後方撹乱が目的だったため,期間は51年〜53年に集中」しており「中核自衛隊」と称した.

■首相改憲発言は「憲法を軽んじる言辞」 学者らが批判

(朝日新聞デジタル - 05月22日 22:47)