ミュシャ展に行ってきた

ミュシャを知ったのは1970年代前半の頃だった。

何かの美術系雑誌に特集があってそれでスラブ叙事詩の事も知り、以来ぜひとも見たいと思ってたが、本国に行かないと見れないからと半ばあきらめていた。

何と本国でもあまり見る人がいなく、2012年からようやく一般公開するようになったらしい。

TVで言ってたが、ミュシャがこれを描く気になった理由の一つがスメタナの連作交響詩「わが祖国」を聴いたからなんだとか。

音声解説でも何度かBGMにその中の代表的な曲「モルダウ」が使われてた。

学生時代に行ったヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルの演奏会の演目も確かわが祖国だった気もする。アンチェル指揮のLPも持ってる。

それが一挙にスラブ叙事詩全作品20点が来たのである。もうこんな機会はないだろう。絶対に行く!…と思いながら、結局いつものように終わるギリギリに近い今日行ってきた。

人多かった。スラブ叙事詩はとにかく大きいので(その昔見たシャヴァンヌの大作を上回るかも)離れて見ると、下の縁は必ず何人かの人で隠れてしまうという状態だった。でも近寄っても見たいのは自分も同じ。

近くで見ると絵の中の近景の草地が自分の方に続いていて、人物たちの中に自分もいるような感覚がわいてくる。TV番組で近景の人物は等身大に近いとか、舞台芸術的な効果もあるとか言ってたのがよくわかる。中心人物へ収斂するような構図ではなく雑然としていて、全体に民衆が多く、その心が良く表現されている。

スラブ叙事詩はとにかく長年の夢がかなったし、その大きさを実感できたので大感動だったのだが、今まで知らなかった作品、特に「クォ・ヴァディス」は自分にとって大変嬉しい驚きだった。何故ならシェンキェヴィッチのあの小説は高校生時代から何度も読み返した小説だからなのだ。

見てすぐペトロニウスとエウニケだというのはわかったのだが、後ろの覗いているのは誰かわからなかった・・・しかし、先ほど閃いて分かった。

以下は小説のネタバレがあるので読みたくない方は飛ばしてほしい。

エウニケが主人のペトロニウスを慕うあまり、辺りに誰もいないときに彼の大理石像を抱いてキスをするシーンである。だから後ろから見ているのはペトロニウス本人ではないだろうか。エウニケのイメージは小説の通り金髪で輝くようなバラ色を帯びた肌だった。そして主人に「あれはローマ一の襞付け師だ」と言わしめたことに由来するのだろう、像に薄い布を掛けている。

余談だがイェジー・カワレロウィッチというポーランドの名監督が作った同小説のTV映画(2001)があり、とても原作に忠実でエウニケはとても美人で像へのキスやトーガに襞を付けるシーンもあるのだが、結構大人で何故か金髪じゃなくてブルネットっぽかった。小説では「金髪のエウニケ」と度々表現されているし、子供っぽいイメージがあるので、ミュシャの絵がまさにその通りである。因みにその昔ハリウッドでも映画化された(1951)が全体もエウニケも原作とは大分違う印象だった。

この小説をめぐってはシェンキェヴィッチが度々侵略を受けている祖国ポーランドを暗喩しているとよく言われている。どこがどういう風にというのは自分あまりポーランドの歴史に詳しくないのではっきり言えない。

ミュシャが「グリュンヴァルトの戦い」(ドイツではタンネンベルクの戦いと呼ばれる)の直後の光景をスラブ叙事詩の1作としている事からもわかるが、ポーランドの歴史はスラブの歴史の重要な部分を占めていて、彼はそれを重要視している。だから小説「クォ・ヴァディス」にも注目したのだろう。